高山英明ブログ10「料理は出来なくても飲食店は出せる^_^」
またまた前回のブログからの続きです。
私が29歳の時の話です。
BARは、どんどん出来上がっていきます。
名前は、「BARCOERNER高山」にしました。
酒屋の屋号が「志田商店」といいます。
母親方の名字が「志田」だからです。
私は、高山なのに、子供の時から「志田店」とか「志田店の兄ちゃん」とか
呼ばれていたので、「高山」という名前を表に出したかったのです。
取引先にも「志田さん」と呼ばれていたので、私は自分は、高山だということをアピールしたかったのかも知れません。
しかしながら、開店するには、まだ問題が残っていました。
料理が出来ないということです。
私は、毎日、毎日、料理のことばかり考えました。
本屋さんで料理の本を買ったりしました。
私の修業したBARには料理はありませんでした。乾き物だけで勝負していました。
しかし、私がイメージするBARでは、料理は重要です。
私は、学生の時に、神保町の「ブラッセルズ」というビールバーでバイトをしていました。
その時に世界のビールのすごさも知っていたので、
自分が出すBARには、カクテルだけでなく、ビールやワインなどもたくさんの種類を置きたかったし、日本酒なども出せるようなお店にしたかったのです。
酒屋だから可能ということもあります。
酒の種類を置くとなると、料理は絶対に必要になります。
ビールやワインに合う料理などがイメージ出来てました。
人間、願えば叶うのでしょうか?
奇跡のような出会いがありました。
ある日、酒の配達をした帰り、車でお店に帰っていたら、
前から、中学の時の同級生とすれ違います。
隣に女性を乗せています。
なんか、ピーンときて、
すぐに電話をしました。
「元気?今すれ違ったんだけど。」
「よかったら、お茶でもしない?」
すぐに近くのレストランで三人でお茶をしました。
同級生の名前は、智弘。隣の女性は智子さん。
聞くと、居酒屋で働いていて、そこで二人は出会い、
将来、居酒屋を出すために修業をしているとのこと。そして、結婚するために一宮に帰ってきたという。
私は、すぐに、
「実は、すごいBARを出店するんだ!智弘、料理やってくれないか?」
と誘いました。
智弘は、1日考えてから、「よしやろう」と返事をくれました。
これで、料理の問題は無くなりました。
後に、智弘は智子さんと結婚します。
そして私の酒屋とBARを助けてくれた後、居酒屋で独立をして大成功します。
本当に私は人に恵まれています。
ともあれ、料理の問題が解決しました。
もうひとつ問題として、私がBARを出店することで、
酒屋の配達先が離れていくのではないかということです。
これは、凄く怖かったです。
今までお世話になっていたお客様とライバル関係になることで、酒の配達の取引がなくなれば、うちは一気に苦しくなります。
悩んでいても解決しません。
BARをやるのは決めてました。
正直に言おう。
「このまま酒屋だけだと将来絶対にやっていけなくなる。今、変化しないと未来はない。」
酒屋の配達先は100件くらいありました。
その一件、一件に説明していきました。
その結果、ほとんどの配達先は理解してくれて応援してくれました。
本当にありがたかったです。
私は、問題を一つ一つクリアして、
いよいよ、
「BARCOERNER高山」をオープンするのです。
高山英明ブログ11につづく・・・・