「人生経営のすすめ」大泉勉様(中編)/いよいよ接骨院オープン!そして不動産投資スター
柔道整復師という整骨院を将来開業できる国家資格を取ろうと思い、27で学校入りました。なるほど。柔道整復師を取るための学校ですね。そうです!はい。当時はね、今と違って、すごい少なかったんです。作れないっていう国の規制があったんですね。
今もう手を上げれば誰でも作れちゃう感じなので、すごい増えちゃってますけどね。昔は、本当に受験で2浪も3浪もしている人います!そうですか。あとは、コネがないと入れないとか、ちゃんと入試勉強をしました。受かって?受かって。3年で卒業して、働きながら整形外科とか整骨院で、あとは当時流行った、マッサージとかね。バイトをしながら通いました。
国家試験なんとか通って、30です。30歳ですね。いよいよ開業?
開業をしようと、すぐにしようと思ってたので、もう勉強も本気でやったんで、そうしましたところ本当にまさにもう父も祖母も末期だと、もうあと半年、1年
そんな状況じゃないぞと言われ、就職というよりは、もうそっちの面倒を見る方が、もうメインで考えなきゃいけないなと思い、何か所かで、働きながら家族の面相をみるという生活をやってました。
それ、30歳から何歳ぐらいまで?30、31ですね。1年ちょっとですね。
31の時にまず祖母が亡くなり、1ヵ月後に父が亡くなり、
そうなんですね。私と母で、私兄がいるんですけど、兄が幼少の頃から、生まれつきというかね。薬害だったんですけど、ちょっと障害をもっていて、寝たきりの状態で。そうなんですか。
母親とは家族5人だけど3人は寝たきりになっちゃったから、私たちしかいないんだよ。がんばろうね!といつも励まされてました。
じゃ、2人お亡くなりになって、いよいよ。もうこれで、なんとか、最後は恩返しをできたのかなと、おばあちゃん子だったので。その時間があったっていうのはよかったですね。いやーよかったですね。
開業したいのは山々だったのですが、優先順位はやっぱり、大好きだったのであの婆ちゃんこだったので、父は尊敬してたので、その時間をもう、選んで良かったと思います。
いよいよ独立するんですけど、まあそれは大変だったみたいですね。出したはいいけど。そうですね。
整骨院だったり、整形外科だったり、もう後輩たちが、開業するんだったら、自分もやりたいなぁとか言ってくれたり。要は、べんちゃんのところで働きたいなぁと言って集まってくれたんですね。
じゃあ給料もいっぱい上げちゃおうかなぁなんて、調子に乗って、まあ1ヶ月2ヶ月銀行から借りたお金で、あとはリースで、借りてる治療機器で全部でね、ざっと2,500万円ぐらい掛かって、すごい人ですね。30坪のところでいきなり始めたんで、よしこれ行けるぞと思ったけども、忙しい割には、なんかあんまり入ってこないんですよね。
このままちょっと待てよと、計算してったら、3ヶ月4ヶ月、いや確実に半年後にはつぶれるなってなっちゃって。
ほんとどうやって謝って辞めてもらおうかなぁと思いましたよね。後輩たちに。はい。スタッフに。これ半年で終わるなって本当にまさに半年たつあたりに、銀行口座にお金は増えてる。どうしちゃったのかなと思ったら、保険請求、健康保険で請求したものが3ヶ月後、4か月後に来るってすっかり忘れてて、これはラッキーだなと思って、V時回復!
これ行けると思って。なるほど。 すぐ飲みに行きましたね。すぐ飲み行ったんだ。すぐに行きましたね。嬉しくて。なんだろうね。その豪快さというか。考えてないんでしょうね、あんまりね。失敗を。失敗をというか。
ほんとそうですねぇ。 あんまり聞かないですよね、マイナスのことって聞いたことないですね。マイナス!今度ゆっくり話しますよ。そうですか。たまには泣きたいこともあります。そうなんですか?そんな時あるんですか?ないです。
V字回復っていうのがどうかなんですけど、順調に行きまして、次は?スタッフがどんどん増えてきちゃったで、忙しいから入れる、頼まれるから断れなくて入れる。
どうしようかなと、もう一個みんなでやってみようかっていう感じで、提案をしたら、そうですね、違ったタイプもいいなって、そういう感じでスタッフとも話して、スタッフとも話してっていう時点で私の勝手な性格で、もう治んないんですけど、もう決めてるんですね。やるから!多分スタッフは大迷惑だと思います。 なるほど。相談じゃなくて?またこいつなんか言ってるよって。
相談のふりなんですけど決まってしまってるんですね。わかりましす。あっ終わっちゃったみたいな感じでしょうね。スタッフは!それで2件、またそのあとに3件、っていう感じで順調には増えましたね。
じゃあもう整骨院はそんな感じで順調で、もう一個のミルフィーユ、不動産投資は?それは何時ぐらいから?
それは整骨院を始めてから、5年経たないくらいですかね。3年くらいの時から昔からやっぱりその家をとられてしまったっていうのがあり。
いいなーって、日曜日のね、なんとかハウス何とかホーム不動産、いいなぁこの間取りとか見てたんですよね。 家へのちょっとあったんですね。執着心がなんかあって、
きょろきょろして、あの土地いいな、あの空家なんか「綺麗にしたら住みやすそうだなとか、ほんと落ち着きなく見てたんで、それで医院を多店舗展開しようとして。
医院までで買いたいなとイメージしてたんですよね。たまたまやっぱりチラシで見た、ある物件が建物付、土地が30坪。
でももうそれはあの壊して、更地にして、住宅を建てたらどうですか?とか、それを二つに割ってとか、そういうプランが載ってるんですよね。
でも自分の中では見に行った時に、これ絶対綺麗にして貸したいなと、そうするとまた
収入が入ってくるんだなと、そこで利回りを覚えたたりだとか、それまで利回りなんて考えたことなかったんで、多分知らない言葉だったんですよね。
でもこれだったら行けると、友人に相談して、建築系、いっぱいいるんで、リホーム系、じゃあここは俺がやってやる。いとこもペンキ屋やってたりとかして、ここは俺が塗ってやると。
便器、これちょうど余ってるのあるから2つ変えてえってあげるよとか。全部やってくれたんですね。ここ車庫作ったら5000円ずつ取れるぞとか、階段は壊れちゃってるから知り合いのところに頼もうかとか、みんないろんな案をだしてくれて。
もう555万で買ったやつが、5年貸してほぼ満室状態、2件しかなかったんですよ。
1階に2DK、2階に2DK、それが5年間貸し続けてその挙句に900万ぐらいで売れたんです。
すごいですね。これまた、違うもうちょっと大きいものを変買えるなとそれは頭金にしていけるなと、それが始まりですね。
やっぱりそのなんだろう。通常がだったら、整骨院を増やしていく方に、まあ僕は飲食やっていたので、そっちに頭が行くんだけど、きちっとそこで不動産で収益をあげるって言うところに、リスクヘッジだったんですかね。なんなんですかね。
ただただその家の幼少期の家に対する思いというものが残ってたのと、あとはほんとは今3つ医院やってますけど、50医院くらいやりたいねっていう話をしてたんです。はい。まあ性格的に言うとわかるような気がするんですけど。
そうすると、何でしょあの、質の低下が、絶対に出てくるっていうのがあり、社員旅行でその時はみんなで大阪行ったのかな、団らん、第2の故郷というか、私の地元みたいなところ、みんな連れてって、美味しいもの食べさして、お酒飲んでってやってて、その時にみんなでやろうよと。
例えばお前らが10店舗づづね、ギュッとしっかりとマネジメントできれば50なんかすぐできるよと。
でも帰ってきて よくよく考えたら今でさえ患者さんに対して満足できるその質が提供できているかというのは不安なのに、50なんて言ったら多分クレームの嵐になるんじゃないかって、そこんところで臆病なところ出てきてしまって、真面目な私の知らない一面を。
1週間2週間でごめんやっぱりやめようと、大阪でおお〜ってやってたのに。50だ〜って、真っ赤な顔して、みんなでいえ〜いって、帰ってきて一週間したら、やっぱりやめよう。やめようというか、やめた。え〜って感じですよね。
えって言われ、いやでも、やっぱり質が下がるのは良くない、やめよう。やめよう。みんなに苦労かけたくないし、その分苦労かけたくないっていうのがあるから、やっぱりスタッフと家族に苦労かけないためにも!
有限会社ミルフィーユの不動産。リスクヘッジもそうだけどもそこでまた得られる収入がありさえすれば、なんかあったときにこう、ビックベンの方も支えられるなと思って。そうですね。でも、なんていうんだろう、今10億ぐらい回してるじゃないですか、まあ借入金というかね。まあまあ大体そんな感じですね。
物件の価格とゆうか。最初その550万円からスタートですか?555!555! 555万円からスタートして、900万売ったって言いましたよね。それがどんな展開で10億売ってたんですか?
それからはその現金が、うわっこんな来ちゃった、家を 昔ローンで買った時に、なんか一瞬見たくらいな感じかな。
今度はじゃあどこ買おうかなって、しかも医院2件目を、3軒目を考えている時にたまたまやっぱりその555、555万を売ってくれた私の師匠みたいな不動産屋の会社の方がいるんです。その方に、電話したのかな?かかってきたのかな?いい物件あるよと、これくっついちゃってるから!
分割で違う人が持ってるんだけれども、今両方とも廃墟と化してるから、ねらい目だよね。っていわれて。安いわけですね。そうなんです。もう猫が、野良猫がたまっているようなとこだったんで、
車庫になってたりっていうのを全部店舗にしたり事務所にして、上はちゃんと住居の12個ぐらいあったんですかね。
それにじゃあ、まずはつぎ込んで、頭金、900万ていうか1千万ぐらいちょっと足してつぎ込んで、買いました。
いくらぐらい?最初かったのは、2700万ですかね。2700万の物件に1千万つぎ込んで、信用も何もない。最初は?最初は!ある程度突っ込んで!隣の方が、実は先手を取られて不動産屋さんに買われてしまったと!なるほど。
こっちを売れって言われてたんです。私に売れって言い返してきたんです。不動産屋が儲かるのは買って売ることだろうと頼むから高くしてもいいから俺に売ってくれと、
これから付き合い長くなると思うからとよくわかんない説得をして、もうめんどくさくなるから売ってやるよ!みたいな感じで、そこは3200万で勝ったのかな、だから両方手に入れたんです。
要は2700万と3200万と900万、で手に入れて、頭金は1千万で、こっちを買ってる時に、こっちの存在もちらつかせていたのね。銀行さんには、それですんなり、そこを買いました!
そこの中に二軒目の医院を稲毛の作ることになり、猫ちゃんたちが住んでたすんごい汚い倉庫みたいな車庫みたいなところは、もうカレー屋さんが入ったり、今、公文式が入ってたりとか、あとは美容院入ってたっりとか、磨けば光ったんですよ。そんな感じですね。
すごいですねー!それもじゃあ売ったんですか?それは最近というか2年ぐらい前に売りましたね。
いくらで売ったんですか? 1億オーバーですね。1億ちょいぐらい。5900万で買ったのが、
1億オーバーで売れたという。そうです。すごい!でもね。十年弱所有してて、すごい回ったんで、家賃収入で!そうです。なので、また次行きたくなりますよね。行きますよね。次何行ったですか?
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