「人生経営のすすめ」小野葉一様(中編)/パワフルで人間力。どん底を経験したから。
14歳から始めた空手で学んだこと
その空手を中学からやって、今いくつでしたっけ?44になりました。44歳、14から、だから30年間ですね、やってなんか、その空手で学んだってことってどういうところなんですか?
めちゃくちゃ今のゆとり世代とか、だからなんとかだっていう、我々世代とか我々より先輩方はおっしゃいますけど、ゆとり世代ではありえないような体罰とか理不尽な今思えば笑えるんですけど、理不尽な仕置き、体罰、暴力じゃないかなってっていうのと上下関係ですか、礼儀作法は学んだんで、今結果学んでどうだったか、感謝しかないですね。
こういう時には座れとか、車が来たら先輩を誘導しなきゃいけないとか、ヤクザ社会じゃないかなぐらいの、バチバチしたことを教えていただいた先輩たちとは、今ほんとに一緒にお酒をね、飲める仲になっていますので。
世界チャンピオンクラス人たちばっかり勢ぞろいしている。考えてみたらみんな日本代表選手ですよ。世界的に有名な空手家では、キックボクシングでもK1とかプライドとかで層々たる活躍した人たちが仲間でいるわけですよ。
自分は別に選手で実績あるわけじゃないんだけど、なんでここにいるのかなって。俺っていうような、たまにしばしば考えさせられますけど、継続こそが力なりって言葉があるように、継続してなんだかんだ、近かったり遠かったり、いろいろ場面はありました。
極真会でも、まあ楽しんで今も入れるってことは、塚本師範なり、私を教えてくれた師範なり、みどり代表だったりと、層々たる大先輩たちが導いて引っ張ってくれてたからっていうのがありますよね。財産ですね。
じゃあ空手を後でまた話出ると思うんですけど、大学まで行ったんですよね。
大学生時代
そうですね。東海大学、海洋学部、航海工学科。周りたちは潜水艦に乗ったりですね、フェリーとか乗ったり、船長クラスなってるかなぁ、もう44ですから。航海士ですよね。
そこらまあ今、遺品整理ということなんですけど、そこからどうされたんですか?
船にのらなくて、私ともう一人イギリスにデザインの勉強する宮本君、2人だけが本来は4年生で通常の大学院にある専攻科と言う、まあ世界をずーっと半年から1年めぐる学科があるんです。大学院みたいなもんですけど、それに乗るんですけど、そこには乗らずに、4年間で卒業しました。
大学卒業後
卒業して、私は飲食店の会社に就職するようになるんですけど、そこで2年ぐらいですね、飲食店っていうのを、もともと高級クラブ高級焼き肉店、バー、カラオケバー、あとはースナック3店舗を経営している会社社長にお世話になるんです。
どちかっていったら、高級路線ですよね。高級路線で、来られてるお客様方も富裕層が、メインでしたよ。
揉まれて、2年半、お店のそういう役員を任せられる 。子供ですが、22.23の子供ですよ。
だからその頃から存在感があるんですよね。なんて言ったらいいですかね。抜擢されるんですよね。
そうですね。頑張り方の見せるのがうまいというか、アピール。そんなことはないんですけど。
そんな感じで、いろいろいい経験させてもらって、丁度2年目の時に行きつけの美容室の店長さんからネットワーキングビジネス、マルチ商法の紹介を受けるんです。
転職
すごいぞ!お前って言って、何ですか先輩、聞いたら、22、23ですよ。これで虚言の富がえれるみたいなのりを、社方針バリバリあおられて、やりますって言って、その飲食店の社長とか部長とか上司からは、やめとけっていわれて、マルチってねずみ講だぞと、ねずみ講がその時分かんないですからね。儲かればいいんじゃないですかって。
なのでやめちゃうんです。飲食店をやめて、本格的にそっちをやる。退職届だして、ネットワークビジネスをやるんですけど、3年ぐらいほんと結構集中してやってたと思うんです。自分の中では、でも周りはあとから入ってんのに年収が何億だって行くんですけど、そうなんですか。
今思ってみれば、一過性なんですよ。継続して何千万、何億ってホントごくごく0.0なんパーセントの一部で、瞬間最大風力みたいな、維持するの大変ですね。
もちろん販売営業なんで、売れなかったら、収入がないわけで、売れた時にフェラーリ買って、売れた時のところは見せられるんで、22.23歳の俺的にはね、頑張ろう!みたいになっちゃいます。
裏が若干見始めた時に、どう頑張っても、月収で60万以上行かないんです。どう考えても、どう頑張っても。俺はあってないんだなと思って、上司に当たる、ネットワークに先輩たちにもうやめますと、お前これからだって言われたんだけど、やめて、そこからですね。
周りが稼いでるやつが多かったんですね。同年代でも、ネットワークやってるやつらでも、いい車乗って、きれいな女性を横に乗っけて、いいところ住んでみたいな所を見せられる。
やめたものどうしようかな、常に24.25歳の私は人と比べることが最優先です。なるほど。いい車ほしい。いい家住みたい。いいものほしい。なんで、お金が必要になってくるんです。
お金稼ぐにはどうしたらいいのか、わからないんですよね。人脈もなければ、たまたまもあるし、頑張ってたネットワーカーとか、あとはまあ商売していってね、契約でワクワクして成功してる仲間もいたんですけど、そんな詳しく聞かないですよ。なんでどういういきさつで成功したの?とか聞かないです。憎いし、嫉妬もあるから、ちょっと悔しい。俺も頑張ってるけどお前もすごいねみたいな。
その中で私が選んだのが、なんでもいいや。捕まってもいいから、悪いことなんでもしていいから、お金儲けしたいんだっていうので、まあ地元のあの暴走族とかね、やってた先輩に、こういうすごいビジネスマンとか、裏でも表でも構わないんで、ありませんかね。紹介してくださいと、お金設け方、学んで早く金持ちになりたいんで、分かったと、紹介するよと。
転職
そしたら数ヶ月、1ヶ月と2ヶ月したら電話かかってきて、まぁちょっと香港の大成功してるビジネスマン、お金持ってそうですよね。高級な車貸すから、運転手兼ボディガードやってくれと、そこで勉強すればいいんじゃないっていうので、ある方を紹介されるんですけど、まあ紳士的な方でしたよ、すごいカッコイイ人だなって、片言の日本語で、私日本人ですから、名前は?小野葉一です。よろしくお願いします。小野か!頑張れ頑張れ!みたいな。
それからまあいろいろそのボスと一緒に同行するんですけど、会う人会う人が層々たる裏も表も、そうそうたる面々の会食とかをするわけですよ。舞い上がっちゃいますよ。20中盤の私です。
天狗になるわけです。この人のそばにいれば何もできんじゃねーかな。あんまり怖いものないんじゃないかなっていうのは、28ぐらいまでですけど、4.5年?3.4年かな、続くわけです。当時お世話になったボスにもう仕事、退職させてもらいます。なので形的には、円満退職、みたいなよかったですね。
色々な不安とかありましたけどね。2.3ケ月は、当時ですよ、勘違いである程度のお金と、ある程度のパワー、喧嘩の強さとか、ある程度人脈とかあるつもりだったんで、何やっても俺すぐ大成功するんだろうなと思ってました。
まさかの事態
健康食品の水素サプリとか水素の機械とか今は流行ってるっていうか、当たり前になってるじゃないですか、それをまあ10年ぐらい前か、一斉一括で何千万って仕入れちゃったんです。商品をね。今思えば、ばかだなぁ俺と思ったんですけど。
売れると思って仕入れたんですね。現金持ってたんで仕入れました。ところが反応がないんですよ。
ある程度お金渡して、売ってくれ売ってくれと、任せろ、任せろ、葉ちゃんと、先輩たちにお金を渡します。
ふたを開けてみれば、ほぼほぼ売れない、何個も売れないんです。何千個もある商品なのに、5コとか10コぐらいなら売れるんですよ。何千個ですか?仕入れたの?そうです。
お客様には付き合いで買ってもらうレベルで、在庫はドッカンとあるんです。賞味期限もありますから3年間でロックされてますから。
結局売れずに、在庫なってゴミになるわけですよ。その流れで何が起きたかというと精神的に心がブレるんです、私が。
お金も無くなった、不安ですよね。周りでちやほやしてくれてた人たちが、嘘つかれて逃げってくというか、騙されたというか、自分が悪いんですけどね。人頼みした自分が悪いんですけど、離れていってしまった。人もいなくなってお金も無くなっちゃった、どうしようかなと、そうして病気になるんです。
苦痛の2年間
うつ病ですね、双極性障害という、1回病院行ったことがあるんですけど、病名は双極性障害、躁鬱病です。あの躁もあるんですね。躁が鬱の前だったんです。
香港のボスと別れて、そこから躁状況です。もう俺なんでもあるは自由だ、お金がバンバン勝手に使いもしない、高級車や高級時計。見え張って後輩たちにおごるとか、今言えば生き金、死に金あれば、死に金、散財してる状況です。
今思えば、完全そうです。神だからとか言ってましたからね。奥さんに神だから俺のこと信じてたら間違いないぞって言ってました。後輩とかにも。
1年ぐらいですかね。お金も減ってきます。足元ついてない状況なんで、浮足立ってるんで、結果も全然出てこないです。
状況を振り返った時に、俺には何にも残ってないなと金もなければ、人もいなくなってる。信用も全部ないな。キューンって落ち込むんです。
躁から鬱にどーんって、怖くてしょうがないですもう。外出るのが、寝室に2年ぐらいかな。
引きこもってました。2年間、暗黒の2年間です。
日々朝起きれば、神様なんで俺死ねないの?生きてるの?みたいな。寝る前に、神様寝てから明日起きないように殺してくださいってお願いして。
当時流行ってた本で、自殺マニュアル本って覚えてます?分かんない。一時結構何十万本って売れた本があるんですよ。
自殺マニュアルって、いろんな自殺の仕方が書いてあるんです。毒殺とかね。飛び込みとか。飛び込み痛そうだなって、列車に飛び込むとか。これはえぐいなとかいろいろ考えたんです。
中で何度か、目の前の公園行って首吊りしちゃおうかなぁみたいな木を見てるんです。痛いだろうなぁなんて。それで子供いますからね。
はい。そのとき二人生まれてたのかな、男の子。パパってくるわけですよ。全然愛情も硬化しているんで鬱で精神的にブレてるんで、弱ってるんですね。可愛いと思えないんです。辛いんです、近寄って来ると、こないでくれよって。
子供ですよ。普通の状態だったら可愛いな、よし遊ぼうぜが、逃げるように来ないでくれ、っていう状況が2年間つづいて、やっぱり奥さんからこんな人と一緒にいても無理だろうと。
でまぁ離婚を申し渡されて、いやいや離婚はできないよと、情けない状況ですが、すがるんですけど、俺もね。何か月も何年もすがったかな、離婚して、また2年間。
またふらふらふらふらしてるわけですよ。力無いんで、まだうつ状態です。その際に1か月ぐらいはどうしようもないから、外へ出るのも怖いわけですよ。こうやってお話しするのも目を見るのもの怖いんですよ。全然想像つかないですね。ほんとに怖いんです。しょうがなく、精神病に行くんです。
受診すると双極性障害ですって言われましたけど。投薬しますと、躁鬱の鬱の不安な症状抑える薬をもらうんです。飲むとびっくりするぐらい、普通に戻るんです。そうなんですか。あれっ治った!みたいな。
ところが、飲み始めると12時間ぐらい私はね、切れて、12時間ぐらいたつとなんかこう、そわそわするからまた飲むんです。それが12時間、10時間、8時間、6時間、5時間と飲んでも2.3時間でまた不安になるんで、もうちょっと飲んじゃおう飲んじゃおうって数が増えるんです。
それが1か月ぐらいで起きたんで、先生にどれだけ頑張って、お薬飲め治りますか?って聞いたら
言われた時に先生から強力な一言。今でも覚えてます。忘れないです。小野君ね、一生治んないよ!飲み続けてって言われたんですよ。さらっと!
まずい殺される!この人に!って思ったんですよね。いろんな精神科の先生もいらっしゃると思うんですけど、私の担当した先生はそうおっしゃってたんで、これまずいなぁと思って、何を思ったか薬をすぐ捨てたんですよ。これまずいと。
薬でおかしくなっちゃてから、でもう、ボーとしてて、どうしたもんかな?
本がきっかけになる瞬間
ある一冊の本がたまたま本屋にあったのか?うちにあったのか?全部病気っていうのは自分が作ってるもんですよみたいな、本があったんですよ。
何だろうなってみてたら、自分が発する言葉とか思っている思考がそのままあなたを病気にしてませんかみたいな、文言を見てて、日々死にたいって言ってるは、神様にお願いしてるよと、死にたいって、何百万回言ったか2年の間に、死ねなかったんですよ。今思えばね。
変えただけなんです。死にたいっていうのを生きてるってすげーなオレは!なんかを選ばれた使命があるのかなって変えたんですね。そこから日々暇というか時間があったんで、まあ引きこもり2年間の後も、まだね、半引きこもりみたいな状態ですよ。帰ってからずっと、ありがとう、ありがとう、ありがとうって言ってるわけです。ありがとうって言葉はいいって本に書いてあったから。
ありがとうって一日何千回、何万回言ったのかな?そしたら1週間くらいで変化が訪れるんですよ。気分がのるんです。ちょっと公園で遊んでみようかなとか、子供を連れて散歩して出ていこうかなとかっていう気分になって、そっからまたやら2.3週間、ありがとう、ありがとう、ありがとう、暇があればありがとう。そしたら、ちょっと昔の仲間に会いたいなとか、街に出てみようかなっていうのが、だんだん出てきました。
意欲が少しづつ出始めたときに、忘れもしない、2011年3月、東日本大震災のが起こるわけです。3.11!大地震。その時、千葉?東京ですか?
東京の地元の鎌田の実家にいましたね。実家で俺よみたいな、父ちゃんと母ちゃんに、全然お金無くて、うつ病でよ。全然意味がないよな、生きてても、くらいな感じ。でもありがとうって言い続けて気分乗って来たんだよねっていう状況です。ちょっと力が出てきたかなっていう状況。
家族の愛情
そしてニュースみれば、大津波で家とか、人が飲み込まれているとんでもない状況を見て、何だよこれって、それ見ててポロッとうちの母親が言うわけですよ。
あんたさ〜葉一!体が大きくてこれだけ苦労してる人いるのに何やってるの。実家きてオロオロしてさあ、意味ないよあんた。おやじはおやじで、マイペースでやれって、結構ホローしてくれてるんですよ。ありがとうおやじみたいな、
母ちゃんバンバン言ってくるわけですよ。あんたねって愛情ですよ、それも。
あんたね、泥だらけになって、体も大きいんだから、力仕事やって少しでも人助けしてきなさいよ。って言われたのが、ばこっと、はまったんですね。響いたわけですよ。確かにそうだなと。
流れって面白いもんで、その何日か後に、地元の先輩に飯食い行こうかって呼ばれて、頑張っていったわけですよ。行きますって、そしたら千葉で、不用品回収、ゴミなんかを回収してる会社を始めている先輩がいて、まぁ儲かってしょうがないと、ゴミが出る会社を紹介してくれれば、紹介料をあげるから紹介してくれって言われたんですけど、あんまり意味が分からなくて、ゴミが売れるところになんでゴミが儲かるの?
先輩今俺、フラフラしてるんで、先輩の会社手伝いがてら、教えてくれませんか?そしたらいろいろ紹介できるかもしれません。ていって、千葉に来たのが、約10年ぐらい前なのかな、8年とか9年ぐらい前、東日本大震災起きて1ヵ月後ぐらい。すごい大変ですね。そうですね。
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