高山英明ブログ76「命」
先日、私の大事な友人が脳梗塞で入院をしました。
よかったのが、命に別状がなかったことです。
リハビリをして元気に退院できると思います。
本当に良かったです。
私は、高校1年生の時に、父親が心筋梗塞で他界してから、
人の命にすごく敏感になりました。
父親の人生の意味は?
人は何のために生きるのか?
自分は何のために生きるのか?
自分の人生のテーマです。
私は、2018年の11月に18年間経営してきた飲食事業を手放しました。
そして約1年間、社長浪人をして、自分の人生やこれからの生き方について考えました。
そして今復活することができました。
社長浪人した時に、考えたことがあります。
それは友達の生き様でした。
私の友人で若林くんの話をします。
2014年の1月に大腸癌で亡くなった友人の話です。
2011年に彼からいきなり衝撃の告白をされます。
「高山さん、俺大腸癌になっちゃった。ステージ4だっていうんです。
このままほっておくと余命半年だって言われました。」
私は絶句しました。
何も言えなかった私ですが、私はその日から毎週彼と会うようにしました。
なんであったかというと、もし自分だったらと思ったからです。
なんとか彼のことを理解しようと思いました。
しばらくして、私は立川の日蓮宗に彼を誘いました。
私の家は日蓮宗じゃなかったのですが、ある友人から勧められていくようになりました。
3000円でお清めをしてくれ、経営について、人生についてアドバイスをいただいていました。
もう今ではいかなくなりましたが、当時の私は、月に一度のルーティーンでしたので、
若林くんを誘って一緒に行くようになったのです。
毎月、松戸に迎えに生き、立川まで1時間半くらい、往復で3時間くらいのドライブの中でたくさん話しました。
若林くんはいろんなことを質問してきました。
資金繰りのこと。
経営について。
人間関係について。
人生について。
「若林、奇跡を起こそうぜ!」
半年くらい経ったとき、彼は車の中で言いました。
「高山さん、俺がんになってよかったと思ってます。」
「え?」
「俺、トライアスロンがやりたかったんでです。
でも、親父の仕事の自動車の工具販売を継ぎました。
やりたくない仕事を嫌々やっていました。
だから、いつもしかめっ面をして、仕事をしていました。
仕事の不満や世の中の不満を言って、人のせいにしていました。
嫁にも当たりました。
そのバチが当たったのです。
ガンになってそのことに気づけました。
今、自分の人生を見つめ直しています。
周りの人のありがたさがわかりました。」
そう答えました。
そしてこうも言いました。
「俺の周りには高山さんをはじめすごい人がたくさんいるんです。
俺はついてます。
だから、そのすごい人とすごい人をつなげるのが俺の役目なんです。」
そう言いました。
これを笑顔で明るくいうのです。
私は、「うん、そうだね。」と答えましたが、若林くんを送った後、
私はワンワン泣きました。
1年が経ちました。
彼はマラソン大会に出たいと言って決断をします。
周りは反対しましたが、それでもやると言いました。
彼と一緒に走るといて集まった人は30人以上いました。
終わって、家の庭でバーベキューをしたのですが、途中で彼は倒れました。
その後も彼は必死に生きました。
一緒に研修に行ったり、旅行も行きました。
お医者さんにガンだと告知されてから2年半が経ちました。
私は、なんか虫の知らせがして、松戸まで車で飛んでいきました。
若林の家のベルを鳴らすと、奥さんが出て来て、家の中に入れてくれました。
若林は、食事をするテーブルに座り、でも目が虚ろで、今にも倒れそうでした。
意識がなんども飛びかけながら、私の手を握り、
「高山さん、ありがとう。高山さん、ありがとう」と言いました。
それから3日後、若林は天国へいきました。
若林が車の中で、高山さん、俺ガンになってよかったと行った言葉が忘れられません。
彼の天命は、自分周りにいるすごい人をつなげること。そう言いました。
私は若林くんとの2年半を忘れません。
今、新型コロナウイルスで家にいる時間が増えています。
こんな時だからこそ、人生について、生きる意味について考えていきたいと思っています。
みんなで乗り越えよう!