高山英明ブログ214「負けを認める時は?」
私の生涯の学びの中に剣道があります。
今でも強くなりたくて稽古に行きます。
しっかり生活のルーティンを確立して、できれば週に3回の稽古を目指しています。
でも現状は、週に一回できればいいほうです。
私がお世話になっているのは修道会といって、千葉の稲毛にある会です。
師匠は重松先生。
今は、コロナウイルスの影響もあり、稽古は完全にコロナ対策をしてやります。
稽古前に掃除の徹底。
稽古は面ガードをつけて、マスクをします。
そして声を出さずに稽古をします。
マスクをつけながらの稽古はすぐにバテます。
20分に一度は休憩しながらの稽古になります。
稽古が終わった後も、手袋をして除菌しながら掃除します。
これだけ徹底されているのも師匠の方針です。
先日の稽古で師匠が言ったのは、
「稽古をしていてどうしたら負けを認めるか?」という質問です。
このように毎回、教えがあります。
通常であれば、「打たれたと思ったときに負けを認めます」でしょう。
しかし師匠の答えは違いました。
答えは、「心を動かされたとき」でした。
相手の攻めに耐えきれなくて手元が上がったり、下がってしまったり、引き出されたときに負けだというのです。
そのときに打たれなかったとしても負けなのです。
心が動いたときに隙ができる、つまり負けなのです。
「なるほど」と思いました。
これは日常生活にも当てはまります。
私たちは、何か問題が起きるとすぐに動揺します。
動揺すると冷静な判断ができなくなります。
動揺すると周りにマイナスの影響を与えてしまいます。
自分のことばかり考えて、周りへの感謝の気持ちを忘れてしまいます。
でもそんな時こそ、どっしりと平常心で入られたら・・・
どんな困難や障害が来ても微動だにしない自分になれたら・・・
一瞬にしてそう頭によぎりました。
剣道は、本当に学びです。
剣道の理念は、「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」とされています。
私はまだまだですが、師匠がいることは本当にありがたいです。
師匠には、いつもボコボコに打たれますが、100本に1本くらい自分の納得できる打ちが出せる時があります。
その1本を目指して通うのです。
心がどっしりと、何が来ても「さあ、こい」とむかえられるような男になりたいですな。