「人生経営のすすめ」渡辺淳様(中編)/夜の世界で上場を目指すが、ある本である言葉と出会う。

そこから、まあキャバクラの専務として、現場の社長みたいなものになって発展していくんですか?

そうですね。そこからは結構急加速で出店と言いますか、やっぱりそういうトラブルとかいじめられたと言う思い込みを含めてですね、小さいから力がないから舐められるんだろう思ったし、そういうのもあるし、力がなくて舐められるとやっぱり従業員さんとかが、こうやって巻き込まれていくのが、もうやだなと思ったんですね。

それはもう大きくなって、力を持つ。そうです。それしか出る杭は打たれるじゃなくて、出過ぎた杭は打たれない!にならないとダメだなと思って、取り憑かれたように出店、行くぞ、なのでよそのグループの幹部とか、どんどんコイみたいな感じで、やってくるんですよね。

津田沼エリアに上って、そのまま東京行くぞとか、ちょっと飛んで札幌出すぞとか、すすきのなんかもやったりいろいろやるんですけど、どこかでやっぱり従業員のためにと思い込みながらやってたんですけど、やっぱり従業員たちはそんな急加速で、分かりますね。

どのぐらいまで伸ばしたんですか?

閉鎖したり増やしたりでちょっと終わりすぎたりしたので、正確にここっていうのは難しいんですけど、10店舗ぐらいはあったかもしれないですね。

売上的に言うと?

ちょっとうる覚えですけど、10億以上あったでしょうね。当地のキャバクラというクラブでね、いいときだったらもっとあったとおもいます。

加速したときにでもそのスタッフは実はその急加速を望んでなかったと、そうですね。もうちょっと待ってくれっていう合図はあったんでしょうけど、どんどん行くぞ!

全国主要都市に出すぞとか、キャバクラの業界の社会的認知度を上げるぞとか、要は組織をすごいふくらますんですけど、まあその速度には追いつかないのとそういうあり方を、キャバクラに入ってくる人が必ずしも全員が社会的な認知度を上げたくて入ってきてるわけじゃなくて、振り向いた時にはなんかもう誰もいなくて、組織が反旗を翻したって言うと僕が悪くないみたいな言い方ですけど、結果僕の器量が足りないんですけど。

従業員、幹部連中がごっそり、割れってちゃう。もめるわけですよね。だいぶもめましたね。

すごいもめたし、いろんなトラブルっていろいろありましたけど、やっぱり一番キツかったのは身内だとか、仲間だとか家族だとかって言ってた人たちと、ああいう攻撃しちゃったり、疑いあったり、傷つけ合ったりというあの状況は正直地獄でしたね。

当時は本当に信頼している、ずっと創業千葉から創業した時一緒にやってた、仲間も逆に本当にちょっとしたボタンの掛け違いから本当に感情の行き違いで割れちゃったのですごいショックでしたし、逆に言うとお前がオレの味方をしてくれるんだって奴もいたし、逆もあるんですね。

その時は裏切ったと思ったその人間たちも、恨みに恨みが重なった負の念の、念使いになってましたけど。

それでどうなっちゃうんですか?

10店舗の店っていうのは、もう半分ぐらいにはもう一気に、その中の幹部の中では、うちのグループの向かい側に女の子とか男のスタッフをごっそり持って、まぁ当時て、やっぱり女の子の引き抜きとかまだまだうるさいに時代ではあったんんですけど、やっぱ身内の人間が目の前でやるってことが、業界では屈辱的なことだったりするんですよ。

そういうことがあって、もう誰が味方かもわからない、お店がどんどん潰れてくしその処理にはお金もかかるし労力もかかるし、結構ボロボロな状況だったんですけどやっぱさっきも言ったように、何人か逆に登って頑張ろうって言ってくれた人たちと、もしくはその1番創業からずっとやってた人間を正直、傷つきすぎたのか自分の人生、先もないし、なんか体調も悪かったんですね、当時、その不摂生と、あとはまあその精神的なものが重なって、もう何か負の感情しかなかったんでしょうけど、まあ正直変な話、そのもう一度にやってきた人間をあとは殺して、自分も死んで終わりみたいな。メンツの問題ぐらいに思ってたんですけど。

ある時、多分本当にそのぐらいの気持ちだったでしょうね、ある時先輩が、そんな顔してないで、本当にお前だけが正しいのかっていわれて、俺はこうやって頑張ってきたんですよ。裏切ったのあいつらじゃないですかみたいな。

今思えば、ホント自分の思い込みと自分をすごい美化してたんでしょうけど、裏切ったというか何かそうせざるを得なかったことがもしかしたらあるのかなって、言葉でふつふつ考えるようになってですね、一回自分のメンツとかプライドばっかりで、不のモードに入っちゃってたんで、だったらどうしてそうしたのか一回聞いてみようと思って。

メンバーに?一番一緒にやってた仲間と今でも覚えてます。そこのミラーマーレの喫茶店、一階のそこで、何でこうなったんだろうかっていう話をしたんですよね。

したらなんか僕は取り憑かれたようにどんどんどんどんいちゃって、そいつにも悩みは問題があって

そんなことお前が勝手にやれよと、なんかこう、どうも冷たいことを散々やったらしいんです。

なんか前向きすぎちゃって、そういうところに目がいかなかったんでしょうね。

でも逆に言うとそんな男と女みたいなことでこんな事件になっちゃうんだと思って、組織も逆にそんなちょっとした感情がこう

行き違いで、あれするんだったら1回水に流してね、もう1回やりたいと思ってるっていう気持ちになったんですよ。素直に伝えて、そしたら向こうも、こんなことがしたかったわけじゃないってっていう話になって、その人間と僕と残ってくれた人たちと、じゃあ今あることをちょっと落ち着けられるだけ落ち着けようって言ってまぁ半分ぐらいになった店の規模ですよね、何とか再生しよう、みんなでやっていくんですね。

なんか、そのまま行くと、そのキャバクラでしっかり盤石していくけど今健康経営者じゃないですか?

はい。もう全然出てこないですか、健康経営が、そうですね。

その時ですね、やはり体壊したといいますか、心もなんですけど、結構寝込むことが多かったんですね。

もうなんか月の半分くらいは発熱頭痛で、寝こむことが多くて、その残った人たちとなんとか頑張ろうって言いながら闘病というか病院に行ってもですね。

精密検査しないとよくわからないってなってて、まあ精神的なもう全然不安定なっわけですよ、その時は、ここで何かなんとか病とか、癌だとか、何か言われてもそういうことに向き合ってくる気力がないなと思ってですね。

もうなんかいるいろんな意味でもう一回頑張り直そうと皆の前で言うんですけど、なんかもう傷ついちゃって苦しいわけですよ。ダメージがね。そうだけどなんか逃げるわけにもいかないんで、そうですね。

ほっといて死ねるんだったら、その方が楽だなと思って、極端なんです性格が、行くぞーって言ったり、もうだめだって言ったり。

今では中庸、真ん中歩くって生き方が僕のテーマだと思っているんですけど、まあその時はもう死んだ方が楽だなと自分で死ぬ勇気もないですけど、まあその具合の悪さで死ぬならって、辛いんじゃないですか、しかも寝込んでって思って、今家を片付けようと思ったんです。まあまだ当時独り身ですけど

家を片しながらこんな本も買ったなぁとか身辺整理、そうです。

恥ずかしいものも捨てて、いろいろあるわけですよ。本もこんなのも買ったんだと思いながらパラパラ見ながら片してたら、食という字は人を良くするとかって書いてあるんですね。確かにそういう字をかくなぁと。

確かに食べ物なんてまぁちょっと景気がいいときは事業でうまくうなぎ上りの時は

高いものたくさん食べれば成功だとか幸せだとか、あのよくわからないそういう物質主義者的なところもあったんですけど、そこに書いてあったのは食べ過ぎが病気になるとか、玄米採食、昔の日本人の食べ物がやっぱり健康のもとなんだみたいなことが書いてあって、僕の思っていた健康っていうのは親から授かってスポーツも得意だったし、高山さんもね、剣道で、身体能力がものすごい高い方ですけど、健康って当たり前にあるものだと思ったんです。

やっぱり自分で育むものなんだってその時初めて改めて考えたです。まあ死んだら楽だなと思ったけど、別に死にたいわけじゃないので、その本に食で体も治るしなんか人生も良くなるとか書いてあったんですよ。

自分で買った本とはいえ、全然興味がなかった時期は興味がないんですね。その時はやたらそれが入ってきてですね。だったらそういう食事生活してみようって言って、その群馬県からこうオーガニック野菜を取り寄せたりとか、またはまると極端なんです。しまいにはなんかその本に百姓から出直せみたいなフレーズがあってですね。

ちょっと変わった本なんですけど、人間迷ったらまた土に戻って、百姓が人の原点なんだと書いてあったんで、畑やってみよう、何年かやってました。体調が整って、全然変わりました。当時やっぱり98キロから100キロぐらい、今もちょっとまた太っちゃったんですけど、80はないですよね。

まあそのくらい近いかもしれないです。そこから、食事改善でもう何の運動もせず、70kgまで落ちるんです。体調も良くなったしなんかやっぱりその本の通りなのかわからないんですけど事業も

なんか落ち着いてですね、当時一緒にやってた、もう一回やり直そうと言ったその、人柱の?じゃなくて、一緒に1回仲たがいした、彼と今後のことをちょっと話す余裕ができたねということでまぁちょっと話してるうちに、その彼がですね、まぁ色々あったけど好きなことやればって言ってくれたんですよ。

その時初めてなんか好きなことってなんだろうと思ったし、自分が好きなことをやっていいんだって初めて気付いて、それまではですね、なんか目の前のことにずっと追われたというか、やりぬきたかったっていうのがあったんでしょうけど、初めて自分のことを考える時間が出来たのですね。なのでその時自分の好きなことってなんだろうとかちょっとこういろいろ見聞きしに行って、興味のあることからなんか勉強しながら考えようと思ってですね。

だけどないわけですよ。もうキャバクラしか知らないし、なんか休みも仕事してないと気が済まないみたいな人だったんで、急になんかぽっかり空いてもと思ったんですけど、やっぱりその健康、特にその食から僕は健康を取り戻したんで、まあすごいくさい言い方すると一度死んだというか、自分の気持ちの中で、本気で1回死のうと思ったことだったのので、どうせ儲けた命だったらなんか自分の恩返しをする生き方、をしていきたいなと思ってですね。

恩返して何だろうなと思ったんですけど、結果その食でもう自分のあり方が変わっていったので、そういうことをお伝えする仕事とか、それを表現する飲食店とか、そういうことをちょっとずつやり始めたんです。

もう今そこに向かってやってるってこと?そうですね、まぁただいろんなあり方で健康食品を売ったりとか、健康情報を届けるメディアを作ったりとかなかなかこう上手く咲かずに、また第2のですね、はい、いろんな事業投資をまただんだん加速していっちゃってですね。

ハコモノお店に投資するって結構お金もかかってくるじゃないですか、そこにやっぱりいろいろ事業としてはなかなかうまくいかなくて、なんか今度はやっぱ想いだけが走っちゃってですね。

まあその事業としては正直、ものすごい苦しい状況になってですね、去年ぐらいまあお店もどんどん潰れて、本当に自分のありかたをもう一回何がしたかったのかな。

その健康の店とかがですよね。そうですはい。健康に向かって、スーパーみたいなの出して、一定でやってたんだけど一回ちょっとまた清算じゃないけど、たたんで、その時になぜ、お店、飲食店とかいろいろやったんですよ。

ただオーガニックとか、食育っていうものをもっと認知を広げるためにやってたので、なんか飲食店って飲食店だけでも大変じゃないですか、そこに何か極端なメッセージ性を込める店ってやっぱ大変でやっぱりうまくいかないし、今度はそのやっぱり農産物を扱かって、食品を扱うオーガニックスーパーっていうので勝負してみるんですけどやっぱりそんな甘くないんですよね。やっぱり難しくてダメになっていっちゃうんですけど、その時に企業さんの健康っていう健康経営はお店がありながらやりたかったモデルで、お弁当をうちのスーパーでお弁当も作ってたので、企業さんにお弁当をお届けするっていうことは、もうやり始めたんです。

その延長線上でもうちょっと従業員さんの健康に取り組んでいきませんかというモデルをキャリアコンサルタントっていう従業員さんの自分らしさとか働き方とかそういったもののアドバイスをしてく、資格が今キャリアコンサルタンとってあるんですけど、そういうのを取りながら食育とそういうまコミュニケーションやメンタル、総合的な健康提供できる自分のツールを整えてですね、やってたんですけどやっぱりお店はどうしても閉めざる負えなくて。

今は健康経営のコンサルタントという形で企業さんや個人さんもですけどね。結構いっぱいますもんね。ちょっとずつですけどね。

まさしく一回死んだところから、30ぐらいぐらいですかね。見つけたっていうかなんか、すごい話ですよね。まぁ極端ですよね。

多分淳ちゃん知ってる人が見たらびっくりしますね。そうですか?

ありがとうございます。今後なんですけども、このままビジョンというかですねどういうことを考えられているのかっていうのを。そうですね。

一般社団法人サードファミリーでは今後も、人生経営者の未来構築のヒントになる情報を配信していきたいとおもいます。

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