高山英明ブログ9「念ずれば花開く」
BAR修業で自信をつけた私は、
いよいよ出店に向けて動き出します。
いろんなBARに行き、研究します。
東京に行ったりしながら、どんなBARを出すのかをイメージ化していきます。
ただし、課題があったのです。
そうです。
お金がないのです。
あと周りは大反対でした。
「田舎でBARなんて流行るわけない。」
「誰がカクテルなんか飲むんだ。」
「酒屋の仕事がおろそかになるだろ。」
家族も反対しました。
しかし、お金がなかったから、まさかやらないだろうとタカをくくっていました。
しかし、私はビクともしませんでした。
やるのは決めていたのです。
絶対にやると決めていたので、周りの反対は聞かなくてすみましたが、
問題はお金です。
約1000万円をどうやって作るのか?
しかし、奇跡が起きます。
ある日、地元の飲み屋で飲んでた時のことでした。
その日も私はお店の人に話します。
「必ず近い将来BARを出店します。最高のBARをやりますので、よろしくお願いします。」
その時にたまたまカウンターの隣で飲んでいた男が声をかけてきたのです。
「BARはどこに出すの?」
「まだ決めてないけど、酒屋もあるし、家の脇にでも作るかも。」
「どんなBAR?」
すごく質問してくるのです。
その後、その男と意気投合して一緒に飲みます。
夢を語り、人生を語り、朝方まで飲み明かしました。
帰る時、その男が言いました。
「俺がそのBARを建ててやる!」
隣で飲んでいた男は、大工さんだったのです。
その男が私の夢に共感して、私のBAR出店に協力させてくれと言ってくれたのでです。
私は、その時、何が起きたのか、しばらくわかりませんでした。
家に帰り、時間が経つにつれて、喜びが下から上がってきました。
「やったぁ~」
そこから、BARの建設が始まりました。
なんとか400万円をかき集め、その400万円で建ててもらいました。
大工さんの利益が出ないので、私も釘を打ったり、屋根を貼ったりと手伝いました。
私の友人たちも集まり、大工仕事をしました。
こうして、周りの人の協力があって、
家の脇に、土地の関係で細長く、
カウンターだけ20席の細長いBARが完成しました。
しかし、まだまだ問題はありました。
料理です。
修業したBARは料理を出さず、ナッツみたいな乾きものだけでした。
しかし、私は料理は大切だと思っていました。
私が住んでいるのは、千葉県の九十九浜の最南端の一宮町東浪見というところです。
駅から歩いて30分という場所で周りには田んぼばっかりです。
その立地のBARに飲みにきてもらうには、料理は重要です。
しかし、残念ながら私はインスタントラーメンも作ったことがないくらい、料理ができません。
そして、酒屋をしていたので、配達先の100件の飲食店がどう思うかです。
業者である私がいきなりライバルになるのです。
そこで取引がなくなったら、私はさらに苦しくなります。
そして周りの大反対です。
これらの問題をどうクリアしていくのか・・・
高山英明ブログ10につづく・・・・