「人生経営のすすめ」 自己紹介②飲食業こそ、最強!

そこから剣道にのめり込んでいくんですよ。

オヤジの死によって決断して、もうとにかく剣道剣道、あんまり強い高校ではなかったんですけど。

例えばですね、朝6時7分という電車があって、そこで毎日行って授業が始まるまえに7㎞必ず走る。

昼休みは柔道部に入ってバーベルを上げる。休みは自分の部活以外いろんなとこ行って練習する。

とにかく気が狂ったように練習するんですよね。おかげさまで高校の時にはインターハイにいったり、全国大会では通用しなかったんですけど、インターハイ国体って言う成果を挙げさせてもらって。

大学も、セレクションで明治大学の方に、進学することができました。

これもですね人生の目標が、本当にこう好きなことを一生懸命やろうって決めたので、目の前の剣道をいかに強くなりたいかということしか考えなかったんですね。

大学に行ってどこに就職するっていうのは考えないまま剣道で大学入っちゃったっていう感じなんです。

明治大学は本当に人生のいろんなことを教わりました。

田舎からですね、まず大学にいくじゃないですか、最初にビックリしたのが新宿歌舞伎町なんですね。

こんな世界があるのかと、のちのち、まああの新宿の歌舞伎町のですね。

健全なお店なんですけど、ジェスパというところがあったんですよ。

当時、地下から1階2階3階まで全部ジェスパなんですけど、そこがカラオケが出だしの洋風パブみたいな感じで、カラオケが歌えてウイスキーボトルキープみたいなのもあって、そういう世界にですね、後々の飲食店の経営に結びついていくんじゃないかと思うくらい。

先輩、一年生のうちは先輩の付き人じゃないですけど先輩と言ったらですね、必ずそのタバコ吸うときパッとライターを、その辺のキャバクラに絶対負けないぐらい。

早くライターだしたりですね、いろんな当番があってですね。

例えば練習終わった後に、スリッパを並べる当番だとか、面を干す当番とか、風呂当番っていうのもありまして。

面白いエピソードがありまして、明治大学剣道部はその当時、今は明大前に綺麗なビルみたいな、道場なんですけど、当時はですね御茶ノ水のすごい古いところの地下にありましてお風呂を1年生が出すんですけど、湯ぶねをためて準備するんですけど。

夏休みの後とか冬休の後って、ある程度使わない時期があるので2日間くらい錆が出るんですよ。

もちろんそのサビがお風呂だとそのしごきを受けなければいけないので、ある時ですね、バスクリンを買ってきまして、その先輩にバスクリン入りですって言ったらなんか、みんながしごきじゃなく許しくれみたいなエピソードがあるくらい、そんな経験をしてきて人生の、人間関係をですね、明治大学剣道部では教わりましたね。

その後、剣道は今でも、やってはいるんですけど、おかげさまで剣道から学ぶことはすごいたくさんあるんですけど、じゃあ就職しようというということで、先輩が体育会剣道部なんで当時バブルの終わり際の時期ですかね、どこでも就職できたんですよ。

私も先輩から紹介されてじゃあそこに行くという予定でまあほぼ内定をもらって、決めてたんですけどある日、親父が死んで、母親が一人でその酒屋をやってくれてて、私も土日は手伝いにいってたんですけどその、どこに就職するってなると、剣道がができるところ、実業団で剣道をやりながら、どっかサラリーマンやろうと思ったんですけど。

母親から一本電話来まして、いやもう、しんどいからお店閉めたいんだけどって言う、電話があったんですね。その瞬間にそのちっちゃな酒屋を継ぐって、決断しちゃったんですよ。

そうなんです。それもやはり決断なんですね。そうなんです。周りのみんなですね、なんで、大学まで行って、酒屋を継ぐんだと、散々言われたんですけど、それが結構原点ですね。

酒屋を継ぐんですね。どこにも働いたことがなくて、酒屋を継ぐじゃないですか、どうやっていいかわからないんですよ、地元の一番流行ってる酒屋さんと、2番目流行っている酒屋さんに、こんにちはって言ってお願いしに行って。

話を聞かせくださいって言っていろいろこう聞いたり、で結論から言うと配達で、どんどん売り上げを増やしていこうと決めまして、営業行くわけです。

配達するんですけど、どうやって営業をとっていくかわかります?

とりあえず、わからなかったら一件一件声かけていく飲食店なので、8時とか、9時の一番忙しい時間に名刺持っていくんですよ。

どうですか?今忙しいんだけど怒られるじゃないですか、で必ず地元なので知り合いが飲んでるので、マスターお手伝いしますと言ってその日は手伝ってきちゃう。マスターと仲良くなって醤油一本から、いれていただいたりそうやって増やしていったんですよ。

どんどん売上が伸びていくんです。ただ、どんどん資金繰りが悪くなっていくんです。

つまり、在庫が増えて値段もその既存の酒屋よりちょっと安くしていっていうふうにしていくと、当時経営なんか全然わかんなかったので、どんどん資金繰りが悪くなってですね。

まあ市場環境も、コンビニが前にどんどん出て安売りが、できてですね、そんな中で、親父が残した借金もあって、返済とかもあって。

やればやるほど苦しくなっていくんですよ。これはまずいなって思った時に出来事がありまして、ある日友達とスナックに行くんですね、うちで、昔あの黒いトライアングルって焼酎わかります?これはぼくの世代ですね。

うち500円で卸してるんですよスナックに、それが2500円で売ってるわけです。スナックですからね、水道水が500円でもちろんの製氷機の氷も500円、女性がのむウーロン茶が1,000円。

凄い儲かるな、当時の酒配達したってビール1ケース運んで何百円ですからね。

100円から200円の世界ですから、だから ビール1本落としちゃうとそれだけでアウトなので、そんなぎりぎりの中でやってたのにめちゃめちゃスナックが儲かってるわけですよ。

丁度バブリーだったし、全盛期だったしってこれは飲食店が良いんじゃないかないかってことで飲食店に行こうって決めるんです。

最初じゃ居酒屋、スナック、バーとかいろいろいろ飲食店あるじゃないですか僕を選んだのはバーだったんです。

なんでかっていうと僕酒屋じゃないですか原価わかっているので、こんなちっちゃなカクテルグラスにカクテルって700円とかで売っているじゃないですか40円ぐらいなんです原価めちゃめちゃ儲かるなっと思って酒屋じゃないですか。

なのでバーをやろうって決めるんです。

どうしたかといったら、地元で本格的にやってるバーがあったんですよ。

そのバーはアルバイトさんが千葉県のバーテンダー協会の大会とかで優勝とかしちゃうくらいきちっと教えているバーなんです。

マスターがいて結構頑固でとりあえずビール頼んだらぶっ飛ばされるようなとりあえずじゃないだろうと怒られるようなバーでそこにまあ配達1日やって終わった後にいきまして、マスター実は僕は将来バーをを出したいんです。って言うんです。ついては技術がないのでここで修行させてくださいってお願いしたんですよ。

ただし条件がある、僕が条件を出したんですけど、要は配達が夜まであるので、だいたい当時100件くらい配達していたから延べ、100件1日30件ぐらいから配達してたのでいつ行けるかわかんないんですよ。

なのでいける、毎日行くので行ける時間にいきますとお金は入りません。

カウンターの端っことかでこういうバーでですね。練習するわけなんです。1週間経ち2週間経ち3週間、ずっと練習してるんです。

お客さんはマスターと話してこれ上手くなるのかなって疑問が起こるわけですよ。マスターに交渉したんですよ。

将来バーをやりたいわけです。マスターカクテルを教えてください。

マスターが分かった、ジンを買えとお店でうちの酒屋で980円で下してたバーネットジンって平べったいジンがありまして、それを2500円で買えって言われましてわかりましたって。

買ってその僕のジンで作ったカクテルが、350円で出していいと700円の半額でいいと友だちを呼んで当時その友達バケツって言われてて、要はバケツ代わりに練習してと。

呼ぶじゃないですかで作るじゃないですか。

その友達は飲むじゃないですか。美味しいのかまずいのかわからないわけですよ。

上達してるんだか?また交渉に行きまして狙いを変えたんですね、友達を呼ぶのをやめようと!

そこに来ている常連さんに飲んでもらおうって思ったんです。

まあいくんですよ。僕がその常連さんに「常連さんですよね」僕のカクテルを飲む義務があるじゃないけど交渉したわけです。

なんでだと、僕はここで修行してバーをオープンするので飲むじゃないですか、まずいわけですよ。

普段マスターの飲んでるレシピ一緒なんですよ。

まずい、マスターじゃあ同じのつくって、でうまい、うまいっ、すごいねー!鉄板ルールというか。

じゃあその常連さんに来週もう一回来てください。修行します!でくるじゃないですか作るまずい、でマスター上手いマスター喜ぶ。

またなってまた修行でそれを常連さん ABC さんにやった結果、みんな鍛えてくれて上達したんですけど、面白い現象がカウンターの僕の前に僕の前の方がお客さんが増えたんです。

これでバーいけると思ってバーをだそうって何か月か修行してもうやろう。

ところがお金ないですよ。酒はある、1か月遅れ払うから酒はあるお金がない。

ある日まあバーで飲んだ時にそのマスターに僕はバーをやるところだ必ずやるところだ。そのうちやるからみたいな。

話したらですね。隣にいてた同年代のその人が飲んでましてその人と盛り上がりまして遅くまでも散々飲んで僕はバーをやりたいと。

はい。彼は大工さんだったわけですよ。僕の夢はこうでああでと盛り上がって江口さんって方だったんですけど、

その彼と散々飲んで次の朝方まで飲んだんですけど「よし俺が作ってやる」って江口さんが言ったんですよ。

すごい安い金額で家の酒屋の脇にもううなぎの寝床じゃないけどカウンター20席のバーを作ったんですよ。

ただ料理ができない。たまたまですね酒の配達してたら前から同級生が女性を連れて女性を乗っけてすれ違ったんですぐ電話して「何してんの?」って言ったら実は居酒屋にアルバイトして。

そこで出会った女性ときたんだって言うわけですよ。

将来結婚するから一度居酒屋の夢を捨てて居酒屋をやりたいという夢を捨ててサラリーマンに戻ろうかなという話をしたのでじゃお前うちで料理やれってことで確保しましてそれでやったんですよ。

給料払えたんですか?払えました。

酒屋と、その代り朝から晩までやってどのくらい流行ったかというと結構流行ったんですよ。カウンター20席で毎日満席でそのカウンターで立ち飲みができるぐらいは流行ったんです。

すごいですね。ところがですね。5年やったんですけど朝6:30に起きて家の前の自動販売を拭くんですね。

でそれからビールを20ケース積んで配達に行くんです。配達をして夜7時にアルバイトと後退して蝶ネクタイしてバーに入るんです。

12時まで5時間しかまだやってないんですよ。

ところが、八坂さんバーって12時閉まると思います?

遅いんですよ。

結局2時とか3時になるじゃないですか。

でそれからお店閉めてお金を数えて伝票整理して次の日6:30に起きて、また自動販売機拭かなきゃいけないじゃないですか。

2時間ぐらいしか寝れない生活を5年間やったんですよ。

最後の方はいつでも眠いんですよ信号の信号待ちしてる時にも寝ると赤信号だけで寝れるとそんな生活をしてて最後もうちょっと笑えなくなってきちゃって。

これはちょっと持たないかなぁと思っちゃったんですね。ただそのバーをやったときに良かったのがお客様がありがとーって言ってくれるんですよ。

酒屋ってどっちかっていうともって安くしろとか、早く持ってこいかっていう人が多かったんですごいそこで感動して自分がこんだけ頑張ったら頑張っただけ喜ばれると居酒屋やろうと。

ただし自分がその居酒屋の店長やるわけじゃないですよ。

酒屋とバーやってるんで居酒屋を出すんですけど結構お金をかけて出すんです。

2千万くらい借金して出すんですけどじゃあ人生の中で一番信頼できる人店長にする人はだれってことで、中学校の同級生の丸島トシオ君って方にお願いするわけですね。

断るわけですよね。当時その大きい会社に勤めてたのでまでも行くわけですよ。

とんでもないん居酒屋を作りたいと。多分向いてるぞ断るわけですよ、やっぱり断られるわけです。

また行くわけです。電話するわけですよ丸島君ってとんでもない居酒屋を出したいんだけど断るわけですよ。

3ヶ月ぐらいですねえ 張りまして稲毛の稲毛駅近くのはワタミ、当時ワタミ今違う名前になってると思うんですけど、

そこで飲んでた時にまたじゃ飲み行こうかって言ってところでとんでもない居酒屋を出したいんだけど満席だったわけです。

こんなどうどう?その時にOKがでで丸島君の丸を取ってまるっていう居酒屋を出したんです。

それがですね。本当にありがたい話で今はもう結論から言うと手放しちゃったんですけど丸島君は手放した最初の1号店を今引き継いで社長として1号店の店長として頑張ってくれているですけど。

そんなストーリーがあるんですね。

一般社団法人サードファミリーでは今後もですね。

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