「人生経営のすすめ」 自己紹介③日本と世界の架け橋になりたい!
まるって言うのをオープンして株式会社まるいうことで、今もう譲渡したらもうないんですけど。どんどん出店していくわけですよ。
本当にこうさっきもいいましたけど、15店舗。フランチャイズも合わせて15店舗。
お店から独立していった。これは喜ばしいことなんですけど、独立していった人がたくさんいますし、すごく千葉ていう中では結構頑張った方じゃないかなというふうに思っています。
ただ、やっぱり2年前から、今回いいことばっかじゃないじゃないですか。
2年前ですね、だんだん売上がちょっとづつ落ちてきて、その時にいろんな出来事が本当に立て続けに起こったんですね。
どんなこと?まず火事が起こりましたね。ある店舗で、ボヤで済んだんですけど、火事が起こって、そのあとに1店舗売却しようと思って、まぁそこが騙されるというかもめまして。
それで裁判沙汰になったり、もちろん終了したんですけど、社員さんが車の事故を起こしまして、被害に遭われた方といろいろ完済は全部済んだんですけど。
仕事中?そうですね。会社の責任うちが全部悪いんですけどね。
あとはですね、持ち逃げとかいろいろあったり。2年前にそれで5店舗を売却しようってことで、それが失敗しまして2店舗で止まってしまって資金繰りが悪化して。
結果的に、このままじゃやばいということで、一番最重要項目は社員さんを守ることだったので、
まあうまく守れたかどうかわからないんですけど、店舗ごと全部、譲渡、受けてくれるところを見つけまして、ありがたい事にみつかりまして。そこに譲渡していきながら、会社はもうたたむ形に今はなりました。
やっぱり以前は一番多い時には10人ぐらい抱えていた時もあるので、高山さんはそのとき社員さんに対するどういう感覚だったのか?
その当時は正直、そんな余裕があんまりなくて資金繰りとか、なんとか給料払わなきゃと、金策をしたり、飛び回ったり、それこそ一人もんもんと悩んだり、夜眠れなかったり、取り立ての電話が来たり、対応したんですけど、今思うのはやっぱり社員さんなんですよね。
当時僕のビジョンに巻き込まれてというか、信じて来てくれた人やっぱりそれを今ですね、言っても口だけなってしまうというか、そこだけはちょっと後悔ということです。
先程説明した、丸島君も、最初に出した18年前に出した茂原店っていうところを引き受けてくれて、今一店舗の社長として、本人がやりたいっていうこともあったんですけど、やってもらって、繁盛してるからいいんですけど彼に対する恩というか、中学の同級生なのでなかなかこう言葉にはちょっと出せなかったんですけど恩返しができたらという思いはあります。
あとやっぱりこう独自していったメンバーで、最近会うようにしてるんですけど、すごく喜んでもらったり、なので彼らが発展していくのが一つの夢と思っています。
単純に僕すごいことだと思っていて、僕は逆にその一番多い時に12人いたんですけれども今連絡を取っている人は一人もいないんですよ。ぼくは会社をつぶっしちゃってみんなを解雇したという高山さんみたいに受け入れ先を見つけてあげるというを僕はしてあげられなかった。関係はよくなかったですけれども。今でも連絡とれるってことはそうですね。高山さんがちゃんとやったからなんじゃないかなって気がしますね。
今後 youtube でも発信してきたんですけども、やっぱり今回のすごい苦労した経験っていうのが、本当にこう人生を考えるターニングポイントとなってここまでほんと一生懸命道を突っ走ってきたんですけど、一回ちょっと立ち止まって考える時間ができたってこととすごくまあある意味ではすっきりしたというか。
今年51なんですけど、51歳にして、今後のおやじが死んだときにこう問いかけてきた、何のために生きているのか明確になった気がします。
今後はどうして生きたい?
そうですね。ここ何ヵ月、半年くらい考える範囲で自分の一番の強みっていうのがご縁を作っていく、人と人を会わせたり集客とかバーでもそうですけどバーで一列で満席で、毎回だったときに一人で接客って無理なので、この人とこの人を繋げたらうまくいくんじゃないか?この人の人生のストーリーって何だろう?て考えるのが好きなんですよ。
なので今もう結構中小企業経営者の知り合いというか、集めるのが得意で、マッチングさせたりそういうのが好きなんです。
でそれがまさしく一般社団法人サードファミリーなのかなぁと思っているんですね。その思いがあって。
なんでサードファミリーを作ろうと思ったんですか?
そうですね。2年ぐらい前ですかね。三浦さんと代表理事を二人でやってるんですけど、三浦さんっていう30歳。当時28歳若者と当時29歳か。会いまして衝撃ショックを受けたんです。人間性というか。
中国の三国志の中に諸葛亮孔明の三顧の礼ってあるじゃないですか。当時劉備玄徳が47歳の時に諸葛亮孔明が27歳だったんでですよ。僕は当時、三浦さんと会った時に49歳で彼は29歳だったんで被ったんですよ。
マーケティングというところに特化して一生懸命やるので何よりも良かったのが、そのセミナーが終わって懇親会したときにずうといろんな人の質問を受けていく姿勢とかそれで一度会ってくださいってことで会って色々話していくうちに、向こうが高山さん一緒にやりましょう!
合宿やったんですけれどもそれでサードファミリーっていうものが出来たんですよね。
何かのセミナーにいったセミナーで三浦さんと会って?
そうです。三浦さんが講師やってたんです。
そうなんですね。
その三浦さんと一緒にやるようになって今があるというそうです。
今後のビジョンとしては僕、剣道を今もでもやってるんですけど、これ何で今でもやってるかというと大学で一旦終了したんですけど。
たまに地元の小さな試合出たりしてたんですよ。変な話、その腕っぷし剣道は自信があるんです。
だから 街の大会にでても負けないわけですよ。だんだん歳とともに30代、40代になったときに勝てなくなってくるんですよ。
当然ですけどもなんで勝てないかって言いますと、勝てないだけで負けるんだったらいいんですけど、打たれたくなくて守りに入っていくんですよ。
引き分けが多かったり何が言いたいかといいますと、人生経営もそうなんじゃないかと思ったんですよ。
その時に昔の栄光じゃないけど、負けたくないって言う自分のエゴで、そうすると見ている方からするとめちゃめちゃつまんない試合になるんですよ。すごいダイナミックに行くわけでもなく。そうそこはそれがですね。
あるコーチング研修に行った時に行ったときにはって浮かびまして、その講師の講義の中で何を言われたか忘れたんですけど、はっと浮かんで、もう一回いけるだろう!打たれてもいいから堂々としっかり打ちきれるような剣道をやろーって思ったんですよ。
2010年に復活しまして、それからのいろんな道場を行くようになって今があるんですけど。
その時に毎年海外にまぁちょっと話は変わるんですけど、中国とかですね、タイとかベトナムも行った。オーストラリアも行った。
その時に必ずアポをとって現地で剣道やってところに防具持っていくんですよ。
海外に防具一式持っていくんですか?
そうなんです。現地の人でも剣道やる人いるじゃないですか。日本から行くと先生なので現地でやってる人はみんな先生、先生と言ってくれるんです。それはそれでいいんですけれど。
感動したのが日本人より日本人なんですよ。向こうで剣道学ぼうって思っている人達って本当に凄くて、そう思ったのがセカンド道場って言ってそのまま飲みに行くわけですよ。
飲んだらなんでそんな面が打てんですか?聞いてくるわけですよ。
言葉も通じないのに熱気とかはですね、海外って名刺交換するより一発だなって思っちゃうんですよ。
でその思いもあって、今日本でほんと冷めてるてるじゃないですか、でも彼らはハングリーじゃないですか。
逆に日本良さももちろんあるじゃないですか。日本と世界をつなぐことで、例えば日本の我々があと10年ぐらいで定年退職になった人が向こうに行って先生やってもいいし、向こうの子どもたちが日本に来たら我々は受け入れて泊めてあげてもいいし、という架け橋にそこにちゃんとビジネスも絡めてできるっていうのが夢ですね。
今サバ―に入られている僕の親友というか仲間たちなんですけど、将来はそのまあ皆さんご定年されてある程度事業もうまくいったら海外とかで本当においしい酒を飲みたいなというのもとビジョンですね。
まずどこの国に行きましょう?
タイですね。楽しみに、ありがとうございます!
以上で長い、長い自己紹介になってしまったんですけど次回からはテーマを一つ決めて、八坂さんと二人でやっていきたい思います。
よろしくお願いします!
ありがとうございました。
一般社団 法人 サードファミリーでは今後もですね。
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